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このページは、医療・医学分野に限らず私が思ったことを記したサイトです。
あくまでもその時の個人的な意見です。後に考えが変化することもあります。個人的日誌と考えてください。
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【医療崩壊】
2007.01.04記、2007.01.22修正
 年頭からいきなり、暗いタイトルで申し訳ありません。でも今一番気になるテーマです。
昨年末に小松秀樹先生(虎ノ門病院泌尿器科部長)の講演を聞く機会があった。薄々感じてはいたが、ここまで患者と医療従事者の医療に関する意識のずれが大きくなっているとは思っていなかった。
  今、日本はイギリスのように医療崩壊を目前にしている。目の前に大きな滝があるのに、多くの人が気づいていない。最近全国で小児科、出産を扱う産科がなくなった病院の数は多いという。小児科、産科以外の診療科でも勤務医を辞めて、重症度の低い患者を扱う開業医への希望が多くなっている。山口市でも2006年に某総合病院から神経内科、呼吸器科の専門医がいなくなり、2007年1月から小児科がなくなった。
  私が10年前に開業を決意したひとつの理由が、「今後10年間で医療事故なしに高い診療レベルを維持していく自信がない」ことであった。
  野球の監督の采配と同様に、100%よい結果を医療に期待するのは無理がある。どんな医師も初期段階では20〜50%以上のある意味での曖昧な診断のもとで治療を開始する。結果としての初期治療方針に誤りがあることはまれではない。医師は経過を含めた新しい情報を参考に、治療方針の軌道修正をする。すべての治療が、最初の狙い通りに経過するわけではない。初期検査が十分であっても、100%の正しい診断ができるわけではない。ゴルフで例えると(私はゴルフはしない)どんなに正確な計測をしても、どんなに正確なショットを打っても、ホールインワンは難しい。にもかかわらず、医療には毎回ホールインワンを期待する人が多い。できなかったら、手抜き、未熟者、ひどい場合は犯罪者扱いされる。このような待遇では、現場を去ってゆく医師が増えるのは避けられない。
  このままだと本当に医療が崩壊するのが避けれらないと私も痛感するようになった。
  以下の引用は小松秀樹の著書『医療崩壊(朝日新聞社)』の巻末2ページのコピーである。医療関係者や医療に多少なりとも興味のある一般の方はもちろん、世論に大きな影響を与えるマスコミ、警察、裁判官、政治家の方も是非読んでほしい。


『医療崩壊(朝日新聞社)』より
結論
今こそ医療臨調を
 医療とは本来どういうものかについて、患者と医師の間に大きな認識のずれがある。患者は、現代医学は万能であり、あらゆる病気はたちどころに発見され、適切な治療を行えば人が死ぬことはないと思っている。医療にリスクを伴ってはならず、100パーセントの安全が保障されなければならない。善い医師の行う医療では有害なことは起こり得ず、有害なことが起こるとすれば、その医師は非難されるべき悪い医師である。医師や看護師は、労働条件がいかに過酷であろうと、誤ってはならず、過誤は費用(人員配置)やシステムの問題ではなく、善悪の問題だと思っている。
 これに対し、医師は医療に限界があるだけでなく、危険であると思っている。適切な医療が実施されても、結果として患者に傷害をもたらすことが少なくない。手術など多くの医療行為は身体に対する侵襲(ダメージ)を伴う。個人による差違も大きい。死は不可避であり予測できない。どうしても医療は不確実にならざるを得ない。同じ医療を行っても、結果は単一にならず分散するというのが医師の常識である。
 医療従事者は、患者の無理な要求を支持するマスコミ、警察、司法から不当に攻撃されていると感じている。このため、医師は勤労意欲を失い病院から離れはじめた。多くの新人看護師が、医療事故の当事者になるのを恐れて、病院を辞めている。患者側からの「攻撃」の強い小児救急は担い手が減少し、崩壊した。紛争の多い産科診療も地域によっては崩壊している。全国の病院で医師不足が目立っている。
 医師の絶対数が減っている訳ではなく、開業医は増えている。開業医が増えても、複雑で高度化した現代医療は、個人で担えるようなものではなく、病院診療を代替できない。私には、日本の医療がイギリス型の荒廃に向かおうとしているようにみえる
 厚労者は危機的状況をそれなりに認識しているが、動きが遅い。他の省庁や裁判所と議論が進んでいない。財務省は財政再建以外に目が向いていない。裁判所、検察は、一部の例外的裁判官と検察官を除き、自分達の行動が医療を破壊しているという自覚を持っていない。
 イギリスの経緯をみるに、現在の日本の状況は崩壊をくいとめられるかどうかのぎりぎりのところにある。非常事態と捉えるべきである。問題は医療側だけで解決できるものではない
 本書では、ここまでに、さまざまな対策を述べてきた。しかし、最大の問題は医療についての考え方の齟齬(=くいちがい)であり、具体的対策を考える前に総論部分での認識を一致させる努力が必要である。一致できなくても、どのように認識が違うのかを互いに理解する必要がある。
 大きな権限を持っ国民的会議を開催し、医療とはどのようなもので、何ができて何ができないのか、人間にとって死はいかなるものなのか、現在の医療の問題は何なのか、危機を回避するための対策はどのような理念に基づくべきなのかについて、国民的合意を形成することを提案する。
 いうなれば「医療臨調」である。メディアの注視する中で問題を提起し、論点を整理し、理念の議論を詰めるべきである。考え方を整理したうえで、具体的対策を考えるべきである。具体的対策の根幹は、医事紛争の裁判によらない解決方法の確立と公平な補償である。国家的事業として患者と医療側の相互不信を取り除く努力をしないと取り返しのつかないことになる。事態は急を要する。